キョンサン(慶尚)マル...サトゥリと私
少し暖かくなったようで、屋根の氷が溶け始め、ぽたぽた落ちています。
早く雪のかたまりがなくなってほしいんですが。店の前の一台だけ止められる駐車所場のスペースを、まだ占領しています。
さて、どこの国へ行っても共通していることでしょうが、地方によって同じ言語でも随分異なるものです。韓国に渡る前、韓国語はほんの少しかじった程度でした。そして、韓国に渡り一番最初めに耳にしたのが、キョンサンマル(慶尚道の言葉)だったのでした。だんなの家族は、約20年ほど前釜山から引っ越して来られたのでした。
一日中聞いている言葉が、サトゥリ(方言)とはまったく知らず、それが正常な韓国語だと信じきっていました、...念のため、シオモニは日帝時代習った日本語を良く覚えておられて日本語は達者、だんなは日本に留学していたのでもちろんコミニュケーションをとる上では問題なし。ということで、特別不自由なことが無かったため、韓国語を習うために学校へ通うとかいう措置を取らなかったのです。
そんなある日、息子がまだ4歳の頃、中耳炎にかかり耳鼻科に通っていたのでした。そこの院長先生曰く、「この子はキョンサンマルを話しますね。」とのこと。当時はまだ私自身何がキョンサンマルで何がどうだとか、わからずにいたので、「そんなもんなのかな~」程度にしか思っていませんでした。
息子が小学校に入り、母親たちがしなくてはならない仕事に「給食の配膳の手伝い」というのがあります。その時一緒になった当番のお母さんが、「故郷は釜山ですか?」と聞かれたのです。意外な質問に「え?日本から来たんですが...」と答えたものの、そのお母さんはちょっと不思議そうにしていたのを覚えています。
しかし、この時点でも違いがわからずにいたのでした。
子供はどんどん大きくなるし、母は韓国語がろくにできないでは困るということで、コモが勤めている某大学の韓国語教室に通うことになったのでした。私のような主婦はほんのわずかで、ほとんどが若い中国人でした。若いこの中に混じって学ぶのも結構楽しく、かえって息抜きになったことを覚えています。
ある日、生徒の中のひとりが話す韓国語が「キョンサンマルみたいだ!」と先生から指摘され、そこで初めて『キョンサンマルとはどういうものか』が発覚したのでありました。
「わたしが話していた言葉が正式な韓国語ではなく、サトゥリだったとは...」
なんか、しょっくだったというか、なんというか...だから私が話す言葉聞くと、みんな不思議がるのか~ということが理解できたのでした。
ソウルマルのできない日本人でした。
多分、キョンサン道へ嫁にいった人はみんなおなじでしょうね~仲良くしましょう!!
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