終わって嬉しい嫁暮らし

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韓国式お葬式

2010/02/03
シオモ二との思い出 2

 先週の一週間は、私の人生の中で最も忘れがたい期間となることでしょう。

私の一生涯のなかで体験する内容を、一気に凝縮して体験してしまったような感覚。

 シオモニは、老人病院で亡くなった為、
その夜シヌイが勤める学校の大学病院内にある霊安室に、遺体が保管された。

シオモニは私たちのことを考えてか、
亡くなる時間帯も夜中とか明け方ではなく、夜の9時少し前。

更に息子も冬休み中、わずらわしい手続きをふまえなくても済んだ。
いったん遺体をあずけ、私たちは家に帰ることに。
次の日の9時までに来ればいいということで、私たちは準備に取り掛かった。

 喪服(韓国では、チマチョゴリみたいなスタイルで、色は黒。)とシオモニのお写真は、生前すべて準備しておられた。

まだお元気でいらっしゃる時、

『私が死んだら、あんたたちバタバタしなくていいように、準備しているんだよ。
男たちは黒い背広にワイシャツがあればいいし。』

そして、遺体に着せる「スィ」まで、全部ひとまとめにして箱に保管してあった。

本当に急なことではあったが、やれ、霊前写真だの喪服だの
(もちろん、レンタルもあるけど)
あわてず、アイロンがけなどごく基本的な準備のみで済んだ。

それでも床に就いたのは1時過ぎ。

次の日の朝、また早く起きて簡単に朝食をとり、あわただしく葬儀場へと向かった。

 葬儀場は地下二階にあるのだが、まだ新しいこともあり、たいへんきれいであった。
厨房ではお手伝いのおばさんたちがお客さんたちに出す食事の準備をしておられた。

 私は、葬式には行ったことはあっても、身内の葬式は初めての体験だった。

父が5年前なくなったのだが、急だった為、韓国にいた私は呼んでもらえず、
すべてが終わったあとにそう聞かされた。

だからいざ葬式と言われたって、あたしゃ一体どうすればいいんだ、と呆然としていた。
 
幸い、シヌの同じ学校の方々が本当に良く助けて下さって、来てくださるお客様への対応の仕方など、いろいろ教えて下さった

。私たち家族は、霊前にあいさつに来られるお客様方にご挨拶し、
食事のおもてなしをするというものだった。

もちろん、食事や飲み物などは準備して下さっているから、
テーブルにお招きし、シオモニの最期の様子や、
来場に対して感謝の意を伝えるのみであった。

 まず、霊前に向かってお花をお捧げし、(花も、準備してある)
人によって違うが、一礼する方には私たちも一礼し、ひざまづいて挨拶する方には私たちもそのようにした。
だから、一日中立ったり座ったりの運動で、腰に来ました~~

 というわけで、続きはまたのちほど...(中断)

息子の夕めしの支度をしに行かなくちゃなりませんので...

ワーキングマザーはほんとーに『パップディ!!』(パップダのキョンサンマル)


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Comments 2

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♪Hiroron♪

No title

お疲れ様でした~。
私も義父が亡くなった時(12年前になりますが)に経験しましたよ。
と言っても私は遺族として座っていることは許されず、専ら弔問客の食事のお世話係でしたが...
子供達が小さかったのと、子供を預ける場所がないということで、私は子供達を連れて夜遅くに家に帰ることが許されましたが、夜中の1時に家に着いて朝5時に出発。最後の日にはどうしても起きてくれない息子をベッドから引きずり出したのを覚えています。
本当にお葬式の3日間は、亡くなった人を思って泣く暇もありませんでしたね。

2010/02/03 (Wed) 20:20

バンポマダム

No title

そうだったんですかーまだ来られて間もない頃だったから、いろいろと大変だったでしょう。子供さんが小さかったならなおさらのこと...ヨメ暮らしって、ほんといろいろありますね。

2010/02/03 (Wed) 21:23
バンポマダム
Admin: バンポマダム
カンコクに住み始めて21年目。
よく生きてきたわいと、自分でも感心しています。
しゃーないので適当に生きています。
2017年の暮れに夫は肝硬変を発病。
引き続き家族を背負って出稼ぎ頑張るバンポおねえ。
さあどうなる?!
シオモ二との思い出